こんにちは。Masa(@inakanomasa)です。
LINE@でいただいた質問をご紹介させていただきます。
いつもブログを読ませて楽しく読ませてもらってます。
いきなりですが質問させていただきます。
これからの時代も英語は必要でしょうか? 自分は現在高校生です。 最近聞くのは機械の翻訳力の発達です。既にスマホのカメラを通して文字を認識するところまで来ていますが、こんな時代なのでもう5年後、10年後にはもっとすごいことになっていると思います。プライベートの時間を使って(受験勉強とは別に)勉強しています。ただ、進路に関してはわけあって英語は必要ありません。
今思いましたが自分はあわよくば英語を使える仕事をしたいなと思っている程度だと今気づきました。それでも英語の勉強は結構本気でやっています。 プライベートの時間を割いてまで英語を勉強する必要性はあるのでしょうか? 中学の時から好きで始めた英語だったのですが、最近になって「こんなことやって意味あるのか…」 「他のこと極めた方がいいんじゃないのか」 そんな思いを抱きながら勉強しています。
Masaさんはこれからの英語の必要性、つまり機械が発達しても英語は学ぶ価値があると思いますか?
このような本質的な質問が来て嬉しく思います。
このトピックについてはいつかブログで書こうと思っていましたので、これを機会と捉えて一度記事として書いてみたいと思います。
今を生きる若者が感じる閉塞感
「こんなことやって意味があるのか…」という思考は今の若者に蔓延している閉塞感を如実にあわらしていると思います。
なぜ未来ある若者にこのような閉塞感が蔓延しているのか?
少子高齢化、デフレ経済、資本主義経済の行き詰まりなど、その問いに対する解は非常に複雑かつ様々な事象が絡み合っているので一言で表すことはできません。ですが、この質問者の方が書いているように、スマホというものが一つのキーワードになっているのではないかと思います。
あなたも自身で体験している通り、今やスマホを持つことが当たり前の時代となりました。
自分の家族や友人や周りを見渡しても、今ガラケーを使っている人はほとんどいません。
このような「スマホが広く一般的に普及した社会」が何を意味しているのかというと、
わからないことがあればその場ですぐにスマホで調べられる世の中になった
ということです(厳密にいえばスマホを使ってGoogleで検索ができる、という風にも言い換えられますが)。
これを便利な世の中になってよかったと表層の部分では結論付けることができますが、実はここに大きなパラダイムシフトが存在していることに私たちは気がつかないといけません。
Googleは人を二極化させる?
ここまでスマホが普及してしまった以上、「知っている」ということに対する価値は年々大きく減少しています。
なぜなら、スマホを所有するということは、手のひらの中にGoogleの検索機能を常に有するということと同義であるからです。
Googleの検索機能というのは、ここでいうまでもなく素晴らしい機能であると思います。
「ウェブ上における最適な知の格納へのアクセス」とでも形容すればいいのかもしれません。
その恩恵は計り知れず、スマホの普及というインフラが整った今、わからないことがあればGoogleで調べる、調べたいことがあればGoogleで調べる、という行為が私たちの中ではすでに「当たり前の日常」となってしまいました。
その結果、次に何が起こるのか?
それは人間の二極化でしょう。
これからの人類は神と奴隷に分かれていくと表現してもいいかもしれません。
人間の二極化とは?
神と奴隷。少し大げさな表現となったかもしれません。
簡単にいえば、これからの人類は「行動できる人」と「行動できない人」の2種類の人間に分かれてくということです。
「Googleで調べる」という行為にそれくらいのインパクトを持っているものだと僕は思います。
例えば「何か新しいビジネスをやろう」「こういう仕事がしたい」「英語を学びたい」と検索をしてみると、そこにはすでにその体験をしたであろう人からの情報が、様々なニュースやブログ記事から読み取ることができます。
それを読むことにより情報を手に入れることもできるのですが、当然情報には「ポジティブな情報」もあれば「ネガティブな情報」も存在します。
一般的に、人間はネガティブな情報に対してより敏感に「反応」をすると言われています。
Googleで調べてみた結果、その情報の内容が「ネガティブ」だった場合、それが私たちの脳の中に及ぼす影響は一体なんなのか?
それは行動の抑圧です。
「やっぱりこれは難しそうだから止めたほうがよさそうだ!」
「自分にはリスクが大きいし、やっぱり止めておこう…」
このような本質的に人間が備えている『防衛機制』の一つである「合理化」が知らず知らずのうちに脳の中で行われるのです。
頭の中で「合理化」をできる人は、とても賢い人であると思います。
様々なシナリオを頭の中で描くことができ、そこから得られるリターンを考慮した結果、「止めたほうがいい」という結論を導き出す。これは将来のロスを未然に防ぐ素晴らしいことであると言えるでしょう。
しかし、そのトレードオフとして、そこから得られたであろう経験は永遠に失われてしまいます。
何事もにおいてもそうですが、経験値の少ない人というのは人間的な魅力がありません。
そもそも自身で何も経験をしていないのですから、話の内容が薄っぺらく、どこかのホームページやブログで書かれているような「一般論」でしか議論することができません。それはまさにGoogleで調べれば事足りる情報しか提供できない人材ということであり、これからの未来、Googleによってその存在価値を大きく減少させていく人材でもあるということです。
「知っている人」というのは賢いのかもしれません。しかし、そこに経験値という「その人だけが提供できる付加価値」がなければ全く価値がありません。
Googleから提供される情報によって「行動できる人」と「行動できない人」に分かれていく。
「行動できる人」はさらに経験値を増やし、自身の価値をさらに伸ばしていく一方、「行動できない人」の価値は相対的に減少していき、「行動できる人」に従属していかざるを得ない。
このような二極化は今後さらに進んでいくものと考えられます。
「意味がない」という意味のない考え
さて、前置きが長くなりましたが、これらの前提を踏まえた上で頂いていた質問の核心に触れていきたいと思います。
この質問者の方が懸念されている通り、このままテクノロジーが発達していけば間違いなく機械が人間の知能を追い越す日がやってきます。それは誰もが認識している間違いのない将来の人類の姿でしょう。
イリーのような通訳デバイスが広く普及し、世の中に存在する言語の壁もなくなるでしょう。
このようなニュースや情報が蔓延していることから
「英語が話せるようになるための時間とお金の投資を。したとしても、将来的にその価値がなくなってしまえば、そこから得られるリターンが期待できないかもしれない…」
「だからそもそもこのまま勉強をしても意味があるのか…?」
と悩むことは至極まっとうなことであると考えます。
そして、残念ながら、これからの社会の中では「英語が話せる」という価値はこれまでよりも一層低くなっていくでしょう。Googleが「知っていること」に対しての価値を大きく減少させたように、「英語が話せる」ということもいつか大きく価値を減少させる日は必ずやってきます。
しかし、だからといって「英語を学ぶことに意味がない」と結論付けるのは、やや勇み足かとは思います。
なぜなら、このブログでも何度かお伝えしている通り、英語というものはただのコミュニケーションツールの一つであるだけだからです。
「英語を話すこと」自体が価値を生み出しているのではなく、「英語を使った行為」にこそ価値があるのです。
外資系企業の現場でもそうですが、英語を話せるということは最低限満たしておくべき条件の一つであって、それ自体になんら価値はありません。
「英語を使ってあなたは何ができるのか?」
「英語を使ってあなたは適切なコミュニケーションを同僚と取ることができるのか?」
そこにこそ価値があるのです。
特に『外国人との適切なコミュニケーションの取り方』というのは英語を学ぶプロセスにおいてでしか学べないものです。
例えば、外国人と接する時にどのような言い回しをすれば話を通すことができるのか、どのような表情をすればいいのか、外国人との交渉時においてはどのような態度で挑むべきなのか、握手の強さはどれくらいでやるべきなのか、アイコンタクトはどうすればいいのか。
テクノロジーの発達がもたらすデバイスでは決して越えられない「人間同士でなければ理解できないコミュニケーションの壁」がそこにはあり、そこにこそあなたの『経験値』を活かす場所があるのです。
そういった意味においては、「意味がない」と考えることは、そもそもあまり意味がないことかと思います。
経験値が得られない=勿体ない
世の中のテクノロジーの発達を横目で眺めながら、無常感を感じることは多々あります。
自身がどれだけ一生懸命努力をしたとしても、いつかテクノロジーがそれを上回ってしまう。しかも圧倒的なクオリティの差を見せつけて。
そのようなニュースが出るたびに
「自分の価値は何だろうか?」
「これを学ぶことに対して意味があるのだろうか?」
そんな風に考えてしまうこともあります。
しかし、何事においても「意味がない」と結論付けるマインドは、時にあなたから人生において大切な経験値を奪い取ってしまいます。
例えば、これから自動車の運転も自動化になる時代です。だからといって自動車の運転免許を取得することを「意味がない」諦めてしまうのは非情に勿体ないことだと考えます。
自分で初めて車を運転した時の緊張感、友達と運転を交代しながらやっとの思いで訪れたあの海岸、あてもなくハンドルを握って街を走ったあの時。これらの思い出や経験というのは、将来出会う誰かと会話をする時に必ず役に立つ時がくるでしょう。
英語を学ぶことも同じです。
「いつかテクノロジーが追い越すだろうという」
そのような無常感に囚われた思考によって、自ら新たな経験値を得られる機会を逃すことは非情に勿体ないことです。
まとめ
色々書きましたが、単純な精神論でまとめるとすれば、「意味がある」「意味がない」という結論は、やる前からあーだこーだ議論するよりも、自分で納得いくまでやった後に結論を出す方がカッコいい生き方だと思います。
周りの表層的な情報からではなく、自ら能動的に行動して得た経験値から物事を評価するというプロセスが大切かと思います。
何度も言いますが、何事においても「意味がある」「意味がない」に二元論で物事を評価していくと、味気ない人生を送る可能性があるので注意が必要です。
最近は精神論を語る機会は少ないのですが、もっとアツく、そして夢中になれるものを見つけろよ!!ってことを言いたいですね。
以上、長くなりましたが僕からの回答になります。また更新します!
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