死ぬほどプライドをズタズタにされて人生に後悔すれば、英語が喋れるようになる努力なんて楽勝でできるから

結局、僕には英語しかなかったのです。

就活に失敗し、死ぬ思いで手に入れた唯一の内定。でも、実際に入社してみるとそこは恐ろしいまでのブラック企業。

心身ともにボロボロになり、毎朝死んだような感覚で電車に揺られる毎日。

もはや生きている楽しさすら見いだせなくなってしまい、布団の中に入って目をつぶるたびに「なんでこんな人生になってしまったんだ?」と、真剣に人生に対して向き合っていなかったことを後悔する。

そんな泥をすするような日々を送ったことがあるからこそ、真剣に英語の勉強を頑張れたんだと思います。

本気で頑張れば英語が話せるようになりましたし、英語が話せるようになれば人生が180度変わりました。

英語ってすごいですよ。本当に人生を変えることができるんですから。

今回はそのことについて洗いざらい書いてみたいと思います。

適当に過ごしていた大学生時代

どこにでもいる大学生でした。

関西の偏差値50付近をウロウロする私立大学。そこが僕の卒業した大学です。

なぜそこの大学にしたのかは簡単で、

  • 地元から近いから
  • 遊びに行くのにロケーションがよかったから

たったそれだけです。研究がしたかったからとか、何かを学びたかったからとか、そういう崇高な目的なんて特にありません。

極論を言えば、親が大学に行けというから。それだけの理由で大学進学を決意しました。

人生について真剣に考えることなんてありませんでしたし、とりあえず毎日楽しく過ごせればいいかなと思って生きていました。

そんな大学生でした。

大学よりもバンド活動に一生懸命でした

大学時代に夢中になったものと言えば、バンド活動とバイト。勉強なんて真剣にやったことありません。

あまり大学に馴染めなかったというのもありますが、学校の授業もあまり出席せず、学食を利用したのも4回生になってからやっとというレベル。未だに学校のどこに何があったのか細かい記憶がありませんし、あまり授業に出席していなかったので、出席が足りなくて単位を落とす夢をいまだに見ます。

ただ、要領は良かったです。授業に出たら出たで、後ろの方の席でうわべだけの友人とどうでもいいことを適当に話していたり。それでもテスト前になったら友人のノートを見せてもらって根性で一夜漬けをしていたので、成績は悪くない。そんな感じです。

それよりも学校外での活動が楽しかったんです。そこには本当の自分がいるような気がして。大学生活が面白く無くて仕方なかったんですよね。うわべだけの友達、やる意味の分からない勉強、くだらない大学生のノリなど、どことなく「ここは自分がいる場所じゃないなー」って感じでした。

なので、学校ではなく、学校以外で”自分”を発揮できる場所を探していました。特に趣味でやっていたバンド活動に一生懸命になっていました。当時は本気でプロを目指していて、自分たちでデモテープを作ったり、難波や天保山のライブハウスでライブ活動をしていました。

ちょうどモンゴル800が「小さな恋の歌」でブレイクしたころです。そのような時代の空気感のようなものが後押ししていたせいもあって、寝ても覚めてもバンド活動。そんな感じの青春時代を送っていました。

まあ、そういう自分たちがイケていると思っていたのも事実で、「学校ではパッとしないけど、外に出たら実はこんなに華やかな世界にいる」という生活が結構好きでした。

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今でも忘れられないキャバクラでのバイトの経験

大学時代にやったバイトはネット上では底辺と言われているような仕事ばかりを選んでました。引っ越し作業員、キャバクラの店員、コンビニの店員など。そういう経験は大学生のうちにやっておくべきだと思ってましたし、カラオケ店やバーのようなあからさまにイケているアルバイトというのはどうも抵抗感がありました。もともと若干ひねくれている性格も関係しているのでしょうけど。

経験した中でも忘れられないアルバイトといえばキャバクラの店員です。元はと言えば、大学の友人がホストをやっていたこともあり、ホストに興味があったのが始まりです。ノリだけで仲良くしていた少し不良の友人と梅田のホストの面接に行ったのですが、面接の時間になってもお店があいておらず、そのまま家に帰っても何だか悔しくて、フロムAに書いてあった求人に電話したことがきっかけです。

面接に行ったら即日採用。業界が業界なだけに、当たり前といえば当たり前ですが、わかっていてもそれはそれでうれしいものでした。「田舎者の俺もお水の世界に?」そんな風に考えると妙な高揚感がありました。

シフトは18時から朝の5時まで。お店の前の道に立ってそこを通る人に対して片っ端から「一時間だけでもどうですか?」と声をかけていく仕事です。時給は1000円。割に合わないと言えばそうなのですが、当時彼女と別れたばかりの自分としては、このバイトで少し苦労を経験して自分を変えてみたいという想いもあったので、1000円でもまあいいかという感じでした。

お店のチラシを持って店の前に立ってひたすら声をかける。言葉にすると単純作業なのですが、これは本当に大変でした。足がパンパンになるのもそうですが、その前にメンタルがきついです。とにかく断られます。時には怒られることもありましたし、唾を吐かれることもありました。まさに最底辺の仕事だなーとやっていてしみじみ思いました。

それでも何で辞めなかったのかというと、とにかく一緒に働いている人が面白かったこと。お店には「なんでこんなに色んな過去を持つ人が集まってくるんだ?」と思うくらい個性的な人があつまっていて、そんな人達と仕事ができるのが楽しかったからです。

親がいなくて施設で育った人、中卒で土方をしてきたけど仕事がなくなってしまった人、街中でホストにスカウトされたことがきっかけでお水の世界にどっぷりハマった人、単純にお金に困っている人、過去を一切消してしまった謎の人など、お水の世界で働く男性っていうのは色んな人がいました。普通に大学に通っていては出会えない人と一緒にいるということに若干の優越感を感じていました。

キャバクラでバイトをしていたなんて、もう15年以上も前の話になります。ですが、今でも一緒に働いている人を思い出しては、「あの人は今頃何をしているんだろう?」なんて思ってしまうこともあります。

挫折だらけの就職活動

そんな風に、外の世界に楽しさや生きがいを求める大学生活を送っていたので、将来のことなんて何も考えていませんでした。

「まあ、なんとかなるさ。」

そんな根拠のない楽観的な考えのもと、のらりくらりと毎日を過ごしていました。そもそも「親に行けと言われて大学に来ている」という状態だったわけですから、目的もなく、大学に積極的に通うモチベーションも特にないまま、「何かあれば親に言えばいいか」ぐらいのクソみたいな責任感でいたと思います。

なので、そろそろ就職活動の準備をし始めなければいけない三回生の冬の時期でも全く何もしていませんでしたし、「インターン?説明会?何それ?」ってレベルでした。四回生になって周りの友人が就職活動忙しくなってきて、そこでやっと「これはやばいかも」と思い、就職活動を開始したくらいです。それまではリクナビと言われてもそれが何かわからないレベルでしたから、就活生の方であれば僕がどれだけヤバかったかはお分かりいただけると思います。

お祈りメールをもらい過ぎて将来に不安しか感じられなくなった

就職活動では思いっきり挫折しました。ガツーンと頭をたたかれるくらいの衝撃がありました。説明会に出たり面接に行っても、全く受からないんです。受ける会社全てからお祈りメールをもらいました。このダメさ加減は見事なくらいです。

最初は、「まあ、こんなこともあるさ」と多少余裕があったのですが、そんなことが何度も続くと精神的に追い詰められてきます。

「え?なんで?大学に来ても就職できない?」

「ヤバイ。。。このままじゃ、卒業後はフリーター?」

そんな不安で心がいっぱいになり、夜布団に入っては眠れない日々を過ごしていました。仕事が見つからないとお金を稼げない、お金を稼げなければ生きていけないわけで。

卒業後のみじめで悲惨な人生を想像するだけで、実は人生っていうのは簡単に転落してしまうということに気づいたのがこの頃です。

今普通に生活をしている。実はこれはものすごい努力(もしくは奇跡)の上に成り立っているもので、少しでも歯車が狂ってしまえばそこから転落してしまうということに気づきました。

もちろん、わがままを言わなければ仕事なんていくらでもあります。ですが、年間ウン百万円もの学費を負担してもらった親の手前、さすがにフリーターというわけにはいきませんし、周りの友人たちにもカッコ悪い。こんな、中途半端な責任感が自分を苦しめていたことを覚えています。

どうせなら思いっきり振り切ってしまって、適当にフリーターになっていた方が気も楽でしたし、悩むことはなかったんですけどね。捨てきれない見栄やカッコつけたい気持ちはあまりプラスには働きません。その時はわからなかったことですが。

就活がうまくいかないとネガティブな考えに支配されてしまう

就職活動では履歴書なんて何枚書いたかわかりません。ボールペンで書いて、最後の方でミスをしたらまた最初から書き直し。何枚も何枚も書いて、少しでも字がにじんでしまったら、「これって減点されてしまうかな?」なんて考えてしまうこともあったり。ちょっとでも下手くそな字を書いてしまったらカーっと頭に血がのぼって自分を責めてしまったり。ちょっとした事でも過敏に反応してしまう神経質な状態になっていました。

就活は結果が出ないとネガティブな考えに支配されていきます。どんどん悪いことを考えてしまい、行き着くところまで行けば「生きている価値がない」なんてことも考えてしまいます。

たかが仕事にありつけないくらいで生きている価値がないと考えることは早計ですし、冷静に考えれば滑稽です。ですが、実際に自分が当事者になってみるとそうは考えられないものです。何度も繰り返し履歴書の選考で弾き飛ばされ、面接までたどりついても人生を否定されれば仕方ありません。

自分の歩んできた人生なんてちっぽけだった、くだらないものだった、価値なんてない。その思考の行き着く先のゴールは虚無感なんです。だから、就活で苦しんで、悩んで、どうしようもない人の気持ちってすごくわかりますよ。

なにが社会人だよ。くだらない。

その社会に否定されてしまったら行く場所がないんだよ、って。

就活はくだらないがそれでも前に進まなければいけない

就職活動がくだらないと思い始めてきたのもこの頃です。みんな馬鹿みたいに同じようなスーツに身を包んで、説明会では別に興味もないくせに人事の人に質問をしてみたり。なんかこう、媚びてまで仕事にありつくような姿勢がどことなく嫌な感じでした。

とはいえ、どこからも内定をもらっていない身分で愚痴を言っていてもカッコ悪いだけ。そもそも面接で自分をアピールすることができる経歴を作る努力をしてきたわけでもありませんし、大学自体の偏差値も平凡そのもの。採用する企業側からすれば、そんな学生を採用するメリットは薄いことは明白です。

このような状況になっていることは自己責任であって、誰のせいでもない。それを自分でもわかっているからこそ、心のバランスがうまく取れずに辛い日々を過ごしました。

ただ、捨てる神あれば拾う神ありという言葉の通り、そんな僕でも最終的には志望していた証券会社から内定をもらうことができました。嬉しい気持ちもありましたが、それよりも就職活動を終わらせることが出来る安堵感と、大学卒業後に入社できる会社があるという安心感の方が大きかったです。

関連記事:【体験談】僕が就活でたった一社しか内定をもらえなかった理由は志望動機の「主語」にあった!

ブラックだった証券会社の営業職

毎朝6時50分に出社。社内の掃除をしたあと、営業チームのミーティング。結果の出せてない人間は上司から激ヅメされてさらし者になる儀式を毎朝繰り返す。

机の上には小さなパソコンと電話と電話帳。営業が始まれば右手に受話器、左手に電話帳を持ち、そこからひたすら電話をかける。

ランチの時間は上司のお弁当を買いにパシリとなり、自分の食事の時間はわずか15分しかないので、お弁当を味わう暇もなく飲み込むようにして食べる。

昼から夕方にかけてひたすら電話営業。その後は上司に営業の進捗を報告し、明日はどうするかを詰められる。何も成果が出てなければ「どうするんだ?」と返され、結局「やります!」と言わされ、後で成果を上げることが出来なかったときに「お前やるっていったよな?」と責められる。誘導された自分の言葉で自分を真綿のように締め付けてく儀式。

帰宅時間は早くて20時。もし上司に飲みに誘われたら朝の3時に帰宅という鬼のスケジュール。

そんなバカみたいな仕事を誰がやるんだ?と思うかもしれませんが、これが僕が入社した証券会社での「日常」でした。

英語を話せるようになって人生を一発逆転させようと決意!

内定を取ったあとは非常に高いモチベーションでした。やる気に満ち溢れていました。せっかく内定を出してくれた会社です。「絶対に結果を出して金持ちになってやる!」そんな風に意気込んだ証券会社の営業職ですが、軍隊のよう厳しさに3か月もすれば心身ともにボロボロに。

ストレスからか、ものもらいに2回もかかり、唇はガッサガサ、顔はニキビでぶつぶつ、という酷い状態でした。久しぶりに会った親からは「お前、大丈夫か?」とシャレ抜きで心配されたことがありましたし、暑い夏にも関わらずガサガサでパリパリの唇でいるのは気持ち悪くて仕方ありませんでした。

営業職は結果が全てです。結果が出せなければ何を言われても仕方がないような空気感が社内に蔓延していました。社内で圧倒的権限を持つ上司から目を付けられ、全員の前で晒し者にされたことがありましたし、社内で味方になってくれる人は数少ない同期だけでした。

プライベートも疲れ切った体で土日は休むだけ。月曜日の朝になると体が拒否反応を示し、微熱っぽくなってしまう。そんな毎日でした。楽しみなんてあるわけありません。当時は会社の寮にお世話になっていたのですが、そこには3つ年上の先輩が何名か住んでいました。

薄暗い、狭苦しい会社の寮。自分は3年後もここにいるのか。3年もこんな毎日を過ごして、結局こんな場所で生きていかなければいけないのか。そう考えるだけで気が狂いそうでした。

こんな人生を歩むために生まれてきたわけではない。こんなことなら、大学時代から、いや、高校の時からもっと努力して生きてきたらよかった。ああ、でももう遅いのかもな。やり直せないんだよな…。

そんなことを頭の中でグルグル考えていました。そこでふと立ち寄った本屋で手に取ったのが海外留学の案内です。「英語か。英語が話せるようになったら可能性が広がるよな!」そんな風に思ったとたん、自分の中でふつふつと留学の気持ちが強くなりました。

今の自分が人生を逆転させるには英語しかない。英語が話せるようになって、もっといい会社で働けるようになる。

そう考えた僕は会社を辞めることを決断しました。ただ、最低でも半年間は在籍しないと格好がつかない。そう思いながら、とにかく半年を過ぎるまでは我慢。辛くて、辛くて、朝も布団から這い出すくらい体が拒否していた会社ですが、とにかく頑張って一日一日を過ごし、半年たったところで辞表を提出。

この時の解放感は言葉で表現できません。パーッと目の前が広がるというか、やっと終わったというか。本当に素晴らしかったです。晴れ晴れとした気持ちで荷物一杯のレンタカーのハイエースで実家に帰りました。もうあの会社の寮に戻ることがないと思うとハンドルを握る手もウキウキしてきます。実家に帰った後は久しぶりに親と食事です。相変わらず親には酷い顔だと言われましたが、その日は久しぶりにぐっすり眠ることができました。

会社を辞めたくなったらすぐにやめるべき

よく、入社した会社は最低でも半年間は頑張らなくてはいけないという意見を耳にすることがあります。ですが、僕からすればバカいってんじゃねーよとしか言えません。そういう人は綺麗な世界からでしか物事を見ていないんですよ。本当のブラック企業に勤めてみたらわかります。半年間という期間ですら長すぎることに。

もし、今仕事が辛くて仕方がなければ、我慢せずに辞表を出しましょう。体や心がぶっ壊れてしまってからでは遅いです。人生は何度でもやり直しができます。仕事なんて山ほどありますよ。明日もしくは今日にでもこの地獄のような日々から解放されたい、そう思うのであれば辞表を出しましょう。

証券会社を辞めた後は地元の工場で働くことに

実家に帰った僕は海外留学に向けて準備をします。お金を貯めるために働かなくてはいけません。とはいえ、冷静に考えれば僕は新卒で入社した会社を半年で辞めた人間です。当然”まとも”な仕事は面接で落とされまくります。箸にも棒にもひっかからないというのはこのことで、自分は呪われているんじゃないかと勘繰ったほどです。

海外留学に一日でも早く飛び出したかったです。会社を半年でやめ、都落ちした状態で実家にいるわけです。情けないやら悔しいやら。なので、普通の会社員の求人案件に応募するのではなく、地元の工場のライン作業員に応募することにしました。昼勤務と夜勤務が交互にあるので、比較的給料の良かったのが理由です。海外留学までの時間を短縮できると思ったからです。結果は即日オッケー。スーツを着て証券会社で働いていた僕は作業着に身を包んで毎日バッテリーを作る仕事に従事することとなりました。

立ったまま寝てしまうほどきつかった工場勤務

工場の仕事はめちゃめちゃハードで、いつも腕がパンパンになるくらいの仕事をしていました。真冬の時期、キンキンに冷え切った工場の中でもインナーのTシャツが汗でビチャビチャになるほどのハードさでした。帰宅する際、駐車場に停めてあるボロボロのスターレットに乗り込もうとすると、窓が霜でおおわれて前が見えないほど寒い時期ですから、どれくらいのしんどさか想像できると思います。

昼勤務を2週間したあとは夜勤務を2週間。最初は夜勤って面白そうだと思っていたのですが、これがかなりつらかったです。体が慣れないうちは眠くて仕方ありませんでした。時には轟音が響く工場の中で立ったまま何秒か寝てしまうほどきつかったです。立ったまま寝たのはこの工場勤務時代が最初で最後です。

工場勤務中、目標は見失うまいと空いている時間は英語を勉強しました。お昼の休憩中、一人で駐車場の車に戻って社内でテキストを読んでいました。そうやって海外にいる自分を想像してワクワクすることが唯一の楽しみだったと思います。

よく英語を勉強する時間が取れないという人がいます。ですが、それは甘えです。本気で英語を勉強しようと思えば5分でも10分でも時間は作れますから。隙間時間を積極的に探してみてください。必ず見つかるはずです。

TOEICの模擬試験で200点を取得

工場勤務を続けながら、海外留学の準備は着々と進んでいきました。航空券を取得し、ホームステイ先も決まり、あとは出発するだけです。ただ、自分だけのお金だけでは厳しい部分があったので、そこは親にも頭を下げて援助してもらいました。

大学に行き、就職し、今度は留学。どこまで迷惑をかけるのか。それを考えるだけで胸が痛かったです。だからこそ、留学に行ったら絶対に英語を話せるようになろうと思っていました。

海外留学に出発する前、参考までにTOEICの模擬試験を受けてみました。生まれて初めて受ける模擬試験でしたがそれなりに手ごたえがありました。スコアは電話で問い合わせる形だったので、ちょっぴり自信ありげにスコアを確認してみたところ、

「今回の結果は2xx点ですね。」

と言われました(200点台だったことは覚えているのですが、細かい数字は覚えていません。)

そこで僕が思ったのは「ん?200点台?悪くないじゃん!」でした。なぜかといえば、TOEICが何点満点か知らなかったので、200点もあれば結構いい線をいっていると思ったからです。

「ちなみに、何点満点ですか?」

と僕が聞いたところ、

「TOEICの満点は990点です。大学生の平均が大体400~500点くらいです。まあ、今回は少し難しかったと思うので。。。」

と、受話器の向こうで声を詰まらせた事は今でも忘れられません。

「大学生の平均の半分か。。。」

海外留学前に自分の英語力の低さ、というかバカさ加減に自分でもあきれてしまいました。

よくもまあこれで海外留学に飛び出したものです。普通ならやっぱりやめよう、もう少し勉強してからにしよう、そう思うでしょうが、僕には海外留学しか選択肢はありませんでしたから、それでも出発しました。

こんな僕でも海外留学に飛び出せたのです。別に海外留学なんて楽勝でしょう。

関連記事:「私の英語力はゼロです!」全く英語が話せない状態で海外留学をしても大丈夫?

あなたは本当に本気で英語を喋りたいと思っていますか?

海外留学に飛び出したあと、そこから本気で英語の勉強に打ち込みました。死ぬ気でやりました。なぜなら、英語を話せるようにならなければ人生が終わる覚悟だったからです。

何も努力しなかった大学生時代。だから、どこの企業も僕を採用してくれない。採用してくれた会社はブラック企業で半年で退職。そして工場勤務。そりゃそうだ、こんなクソみたいな人材、誰も必要としてくれませんよ。

だからこそ、必要とされる人材になりたかった。少しでも人に誇れる努力の跡が欲しかったし、後から振り返ったときに「俺、頑張ったな。」といえるような能力が欲しかったんです。

ダラダラ怠惰な毎日を過ごし、努力しているやつを笑って、でも心の中では少しうらやましいと思っている。イケてる、イケてない、というわけのわからない他人軸の評価ばかりを気にして、自分の中の軸が存在しない空っぽな大学生の時の自分には戻りたくなかったのです。

一日一日が遅く過ぎていた証券会社時代。希望も何もない毎日でした。親が心配するくらい顔面がボロボロになり、ひきつった笑顔しか作れない日々。工場勤務では立ったまま寝てしまうほどハードな仕事をして、毎日汗でTシャツをビチャビチャにする。もう二度とあんな環境で仕事はしたくなかったんです。

自分を変えたい!

もっといい人生を歩みたい!!

その一心で英語を話せるようになるために頑張りました。

一日図書館にこもって勉強するなんて当たり前。毎日10時間以上は勉強しました。でもね、そんなの全く苦ではありませんでしたよ。そこには鬼畜な上司はいませんし、ライン上に補充しなければいけない部品を乗せる必要もありません。あの閉塞感しかない日々に比べたら、どれだけ希望にあふれた毎日だったか。

本気で、死ぬ気で努力しました。

一点も曇りもなくあなたに宣言できます。

だからこそ、半年で英語が話せるようになり、そこからMBA取得、帰国後に外資系金融への転職を果たすことができたのです。

覚悟さえ決めれば英語は喋れるようになる

僕は英語が話せるようになって人生を変えることができました。あの辛くて情けない日々を「あんなこともあったな」と笑い話にできるようになりました。でも、その影には本気の努力がありました。死ぬ気の覚悟がありました。

今、英語が話せなくて悩んでいる人、思ったほど英語が話せるようにならなくて悩んでいる人。

あなたは本当に本気で努力していますか?

一点の曇りもなく、人に対して死ぬ気でやっていると言えますか?

本当に英語が話せるようになりたければ、覚悟を決めましょう。話せたらいいな、ではありません。話せなきゃダメなんです。そこまでの気持ちでやりましょう。

根性論です。英語なんて所詮はそうだと思います。なんだかんだテクニックだとか方法論だとかありますけど、最後は根性です。努力です。自分の時間を英語に対して投資できた人が最終的には英語が話せるようになるんだと思います。

関連記事:【※必見】英語が話せるようになるために必要なたった2つの勉強方法

最後に

大学生時代、就職活動でプライドをズタズタにされ、そしてこれまでの人生の過ごし方に大きく後悔しました。だからこそ、本気で英語を話せるようになりたいと思い、行動に移した結果、英語が話せるようなりました。

英語が話せるようになれば人生が変わります。少なくとも、僕はそうやって人生を変えることが出来ました。だからこそ、英語が話せるようなりたいと思って努力をしている人は本当に頑張ってほしい。月並みな表現になりますが、努力は裏切りません。死ぬ気でやれば英語は話せるようになりますから。

なお、今回の記事はかなりの熱量を込めて書きましたので、ここまでで10000文字を超えています。まさかここまで書くとは思いませんでしたが、すべて本当の体験をベースにかいていますので、何か少しでも参考になれば幸いです。

最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。

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