久しぶりのブログ記事更新となりましたが、今回記事は題名そのままです。
今年38歳になりましたが、
プログラミング経験ゼロ
という状況でプログラミングスクールに入学することにしました。
入学した学校はテックキャンプ。
今youtubeで話題の真子社長が経営するプログラミングスクールです。
ふとしたことがきっかけで真子社長のyoutubeチャンネルを見るようになったのですが、それに影響されてプログラミングに興味を持ったのが始まりでした。
明日オリエンテーションがあるので大阪の梅田まで行く予定なのですが、これからどうなるか楽しみで仕方ありません。
今さらプログラミングスクールに入学した理由
スキルアップしたかった。
これにつきます。
では、なぜスキルアップしたいと思ったのか?
長くなるかもしれませんが、その理由について説明をさせてください。
華麗に見える外資系企業勤務のキャリア
今から約15年ほど前、
「英語が話せるようになりたい!」
「英語が話せるようになって人生を変えたい!」
そんな思いで、僕は全く英語が話せない状態でカナダのバンクーバーに海外留学に飛び出しました。
そこから猛勉強の毎日を過ごした結果、約半年で英語が話せるようになりました。
参考記事:【※諦めるな!】僕が英語が話せるようになるまでにかかった時間とその道のり
英語が話せるようになったあとは、MBAを取得し日本に帰国。
憧れだった東京の外資系金融の会社に勤めることができ、そこから外資系銀行への転職というキャリアを歩むことができました。
ここまで見ると華麗な人生を歩んでいるように見えます。
ですが、 それまでの人生、僕は自分自身に誇れる経験というものが何もありませんでした。
何かを成し遂げた経験がなかった学生時代
中学校時代の僕はどちらかというとガリ勉タイプ。
学年の中ではそれなりに勉強ができる方だったので、地元で一番と言われている進学校に入学することになりました。
当時は結構調子に乗っていたのかもしれません。
ですが、高校時代は違います。
色んなところから「秀才」と言われている人たちが集まってきているわけですから、そこで圧倒的実力の差を見せられるわけです。
初めての挫折。
「自分の学力なんて大したことなかったんだ…」
そんな現実を突きつけられ、そこから一気に落ちこぼれます。
入学して半年もたたないうちに学年の中でも底辺クラスの学力レベルになっていました。
そこからはバンド活動に青春を見出し、なんとか留年もせずに進学の時期に。
本当はミュージシャンになりたかったので専門学校に行きたかったのですが、「親が行けというから」という理由で大学進学を決意。
結局、”それなり”に受験勉強を頑張り、大阪の”それなり”の大学に進学することになりました。
とはいえ、大学に進学してからは目標もなく、友人とダラダラと過ごす毎日。
「これがやりたい!」という明確なゴールを設定していたわけじゃないので、こうなるのは当然といえば当然です。
何かに打ち込んだといえばインディーズのバンド活動くらいでした。
ただ、力及ばず志半ば解散。
当時は本気でバンドで飯を食っていこうと思っていましたが、 現実の世界はそう甘くありませんでした。
バンド活動をしていると学校にはあまり行けない(行かない)毎日を過ごすことになるのですが、単位だけは要領よく取得していたので「留年」は経験していません。
GPAもそこまで悪くなく、成績だけをみれば「普通の大学生」でした。
ただ、決定的に何が欠けていたのかといえば、
何かを自分の力で最後まで成し遂げた経験
だったように思います。
そのため、自分に自信が持つことができませんでした。
”当たり前”のように就職活動に失敗
「親が言うから」
「友達がそうやって言うから」
大学4回生の就職活動が始めるまでは、そんな「自分の軸」がない人生を歩んできたように思います。
それは就職活動の失敗という形で自分に跳ね返ってきました。
受ける会社、受ける会社、ことごとく不採用。
ポストには不採用通知が届く毎日。
「自分は世の中に必要とされていない。。。」
そんな風に考える必要なんてないのですが、「採用されない」という現実がどうしても悪い方向へと考えさせます。
その時初めて、
「ああ、自分が歩んできた人生なんて全然大したことなかったんだな」
と、心の底から思いました。
そう思い、開き直って就職活動を進めた結果、とある証券会社から内定をいただくことができました。
一部上場企業でもなければ、有名な会社でもありません。
ですが、自分にとって唯一の内定です。
正直、涙が出るほどうれしかったですし、
「ここで頑張ってお金を稼ごう!」
そう思いました。
参考記事:【体験談】僕が就活でたった一社しか内定をもらえなかった理由は志望動機の「主語」にあった!
証券会社の新入社員研修はかなりブラックだった
やる気満々で入社した証券会社。
ですが、そのやる気は入社してすぐに吹き飛んでしまいました。
まず、入社直後に待っている新入社員研修という名の「山ごもり」。
約10日間、山奥の研修施設に隔離され、そこで新入社員研修という名の厳しい共同生活が始まります。
内容を簡単にご紹介すると、まず新入社員は班にわけられます
朝は5時半起床。
そのあとはマラソン、社訓の唱和。
朝食後は日経新聞の読み合わせから始まり、日中はひたすら営業のロープレ。
夜は手紙を書く練習などのビジネスマナーを学ぶ日々を過ごします。
この「班にわけられる」というのがポイントで、もし班員の誰かがミスをすれば、それは連帯責任。
夕食を食べさせてもらえず、風呂もいれさせてもらえず、深夜2時ごろまで手紙を書く練習をしていた班もありました。
研修中は先輩社員たちからの厳しい叱責は当たり前。
怒号とまでは言いませんが、「コラッッ!」「オイッ!!!」「調子乗ってんじゃねーぞ!」程度は普通です。
入社前の内定式で見せてくれた優しい雰囲気などはそこにはありません。
あまりの厳しさに研修の段階で数名の新入社員が辞めるほどでした。
そんな「山ごもり」が終わると、やっと下界(※現実の世界)に降りることができます。
そこから営業部に正式に配属されることになります。
証券会社をわずか半年で退職を決意
営業部に配属になった後の方が地獄です。
新入社員は毎日朝の6時50分にタイムカードを押さなければ遅刻扱いでした。
ちょっと何を言っているのかわかりませんよね。。。
これがその会社の”ルール”だったのです。
出社してタイムカードを押したら
「おはようございます!」
と、誰もいないオフィスに向かって大声で叫ぶのが日課でした。
その後、日経新聞を読み、上司の机を拭き掃除します。
8時くらいから各”シマ”のミーティング開始。
営業本部長からネチネチと激ヅメされる時間です。
地獄のような時間をやり過ごしたあとは、数分だけトイレで仮眠をすることもありました。
9時から営業活動開始。
机の上にあるのは電話とタウンページのみ。
やることといえば、自分が担当のページをひたすら上から下まで電話をかけていき、全てのページが終わったらまた最初から電話をかける、ということ。
これを17時までひたすら続けると大体200件程度の架電件数となるのですが、アポが取れることなんてほぼありません。
ほぼガチャ切りなのですが、また違うところに電話をかけるのが面倒なので、しばらく電話で話しているフリをすることもありました。
17時から上司に営業報告をし、日報作成にとりかかります。
運が良ければ19時には会社を出ることができますが、運が悪ければそこから上司に飲みに誘われ、帰宅が2時コースとなります。
これが週3回程度のイベントとして発生するので、睡眠時間はほぼ2~3時間という日が続きます。
日中は眠くて仕方ありませんが、それでも新入社員は6時50分にはタイムカードを押していなければいけません。
上司は遅刻OKなので暢気なものです。
そんな生活が数か月ほど続きましたが、その間にかなりの数の同期は退職。
僕もストレスと体調不良で肌はボロボロ。
免疫力も低下していたせいか、わずか半年の間で 「ものもらい」に数回もかかるほどでした。
「このままではダメだ」
「こんな人生を歩んでいていいのだろうか?」
そんな風に悩んでいたとき、ふと「英語」が頭の中に浮かびました。
何もない自分、何のスキルもない自分、そんな自分が「武器」として持つ(持てる)のは英語しかないと思ったのです。
「そうだ!英語を勉強して人生を変えてやろう!」
「英語を話せるようになってもっといい会社に就職しよう!」
そう決意しました。
そして、わずか半年で新入社員という立場を捨て、海外に飛び出す準備を始めました。
行き先はカナダのバンクーバー。
出発前に受けたTOEIC模擬試験のスコアは200点台。
大学を出ているくせにバカみたいな点数です。
でも、絶対に英語をはなせるようになって人生を変えてみせるという想いは変わりませんでした。
そこからの僕のキャリア歩みは冒頭でお話しした内容のとおりです。
英語が話せるスキルの価値が相対的に下がってきたように思う
説明が長くなってすいません。
そんな想いでマスターした英語。
英語のおかげで自分に自信を持てることができるようになりましたし、たくさんの経験を積むことができました。
何もない自分に「武器」を与え、共に人生を歩んでくれた英語のスキルには感謝しかありません。
でも、海外留学から帰国して約12年経ち、そこから時代は大きく変わっています。
当時はハードルが高かった海外留学も、フィリピン留学などのサービスに代表されるように気軽に利用できるサービスとなりました。
オンライン英会話サービスも普及し、ネイティブとのマンツーマンのレッスンも安価で受講できます。
ライザップイングリッシュなど、国内でも素晴らしい英会話スクールが提供されており、英語を学ぶ環境は僕が海外留学していた時とは比べ物にならないほど充実しています。
英語学習の環境が整備されるということは、それだけ英語が話せる人が生まれやすい環境であるということ。
翻訳アプリなどの精度も向上してきた結果、いまや「英語が話せる」ことの価値は相対的に下がってきていると判断せざるをえません。
これまで僕の人生を支えてくれた英語スキルですが、時代の流れを考慮した結果、「過去の遺産」としてドライに捉えるのが適切であると考えました。
いつまでも過去の武勇伝にすがり付いているカッコ悪いオヤジにはなりたくないんですよ。
プログラミングを学ぶこと=リターンが大きい
そこで今回、本格的に学ぶことにしたのがプログラミングです。
今のタイミングでプログラミングを学ぶことが一番将来のリターンが大きいと判断しました。
実は、これまで外資系企業で仕事をしている時も、今の仕事(アフィリエイトやウェブマーケティング)をしている時も、システム的な話から逃れることができませんでした。
例えば、サーバー、データベース、SOAP API、バッチ処理、SQL、PHP、CSSなど、実は普段から使っている言葉だったのです。
とはいえ、その意味については「ふわっ」とした状態でしかつかめていませんでした。
「これらの知識はこれから絶対に役に立つ」
「英語よりもニーズが出てくるはずだ」
そう思う決定打になったのが、実はユニクロなのです。
ユニクロでの経験が後押ししてくれた
実は先週、久しぶりにユニクロで買い物をしたのですが、レジがセルフになっていて、カゴを置くと自動的に商品の点数と支払金額の合計をはじいてくれる仕組みになっていました。
ニュースなどからその取り組みは知っていましたが、実際に自分で体験するとその数倍の衝撃がありました。
もはやアパレル企業というよりもIT企業です。
「この流れは止められない。むしろ加速する」
そう確信することができました。
今の時代、スマホが普及し、様々なことが自動化されてきています。
5年後、10年後の世の中の姿を見据えたとき、ユニクロの取り組みは「当たり前」の世の中になっているはずです。
当然、プログラミングの知識の価値はさらに増すと考えるのが自然です。
その昔、英語が学校の授業で必須科目になったように、これからプログラミングも必須の知識になるだろう。
そう思ったら行動しかありません。
次の日にはテックキャンプへの申し込みを完了させていました。
何気ないユニクロでのお会計でしたが、自分にとってはそれくらいインパクトがあった出来事なのです。
最後に
今回は話が長くなり申し訳ありません。
以上が今回プログラミングを学ぼうと思った経緯になります。
あ、そうそう、一点誤解をしてほしくないことがあります。
それは、
僕は決してエンジニアになりたいわけではない
ということ。
転職をするつもりもありませんし、フリーランスになるつもりもありません。
英語を学んだ時と同じように、プログラミングという「言語」を学ぶことにより、今の仕事の幅を広げ、さらにステップアップしていきたいと思っています。
そして、いつまでも「過去の遺産」に頼ることなく、常に自分をアップデートさせていきたい。
そんな想いからテックキャンプに入学することにしました。
もちろん、プログラミングが簡単だとは思っていませんし、仕事を続けながら学ぶことになるので大変になると思います。
ですが、何とかなると思っています。
プログラミングについてはまたブログで記事を書いていきたいと思っていますので、もしよければこれからも読んでいただけると嬉しいです。
では、長くなりましたが今回の記事は以上です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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